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2006年3月18日 (土)

雄輝、家族の思い

平成16年2月21日・・・今日は、雄輝と船に乗せる荷物の確認・整理をしながら、沢山あるけど、船に乗せるのに大丈夫なのか。でも、この品物も有った方が良いよね。と揃えると、やはり、たくさんの荷物になりました。雄輝が自分で判る様にコンポしていきました。そして、この日に、宅急便屋さんへ焼津の方へ配達を頼みました。

平成16年2月22日・・・今日は、祖父母の家で過ごしました。僕が、立派になって帰ってくるのを、病気もせずに、元気で待っていてね。お土産も沢山、買ってくるからと言ったとの事。従兄弟達にも、勉強頑張れ。これから社会人だから、お年玉、あげるから楽しみにしとけよと話す。

平成16年2月23日・・・今日はビリヤ-ド・卓球をしました。ビリヤ-ドは、海洋高校時代に親友や寮生と行ったりしてて、雄輝が私達に教えるから、行こうと誘ってくれたのです。お父さん・弟は、始め、玉が当たらなく、皆で笑いました。結構慣れるまでは、難しいもんだねと話す。その中、雄輝は、慣れていたので、こつを教えてくれました。  卓球の方は、した事がなく、雄輝と弟は、当てるのに一生懸命でした。卓球に関しては、私達の方が上手でした。    _037

平成16年2月24日・・・今日は、ボ-リングへ行きました。ボ-リングも親友や寮生と良く行くので、僕が一番上手だと思うよと言う。最後だから、沢山したいと思い、5Gしました。最終結果は、お父さんが一番でした。雄輝は、今日は、調子良くなかったと話す。私達は、雄輝が上手だと思っていなかったので、こんなものだと思っていました。後に親友に話を聞くと、一緒に行ってて、雄輝が一番上手でスコアも良かったとの事でした。その時は、雄輝は、お父さんに鼻を持たせたのかなと感じました。                        _057    

24日夜、 雄輝が、お父さん、出発が近いから、今から、髪の毛を切ってくれるけ、と私に言う。私は、二人の子供の小さい頃から、髪の毛をずっと切っていたので、雄輝に、長さは、どれ位がいいとかと聞くと、雄輝は、一番短いのでいいからと言う。一番短いのは、3分刈と言うと、雄輝は、うん、それでいいと、私に頼む。私は、風呂場で、雄輝にお前も、外国に行ったり、筋トレが、出来たりするから、頑張れよと、笑いながら、雄輝に言った。雄輝も、にこっとした。妻は、一緒に風呂に入りながら、つんでやったらと言う。私は、懇情の別れじゃあるまいし、縁起の悪い事言うなと、妻をおごる。雄輝が、呼んだので、頭をつみ始める。その時、自分の心の中に何か、判らない気持ちが走る。雄輝の頭をつみながら、ちょっとした、怪我などに負けるなよ。お父さんも、昔から、怪我などあるけど、痛みというものは、どんな怪我でも一週間くらい我慢していれば、痛みは、なくなる。一番、痛いと思う歯の痛みでも、2・3週間で痛みは和らぐ。でも、どうしても、痛みが、取れない時は、船長などに痛み止めを貰えよと笑いながら教えてやる。今まで、子供に対して、こんな昔話を、した事がないのに、後で、何故、そんな事を言ったのか・・・でも、何かが・・・判らない。雄輝が、何かしら、男らしく見え、雄輝なら頑張り抜くと思い少しは、安心をした。私の心の中の何かが、あった様な自分では、判らない気持ちがよぎる。

平成16年2月25日・・・今日は、最後の日で昼は、弟と、ワイヤ-刺しの練習をしながら、話していた様でした。夜になると、従兄弟達が雄輝兄ちゃん、最後の夜だけど、皆で行っていたゲ-ム屋さんへ行こうと電話があり、私達も一緒にいきました。雄輝も最後で、楽しそうに、やっていました。従兄弟達に帰ってきた時も来ようね。元気で、がんばれよ。と話し、帰りました。この夜は、明日、出発との思いで、不安もあった事でしょう。夜、遅くまで、弟と話をしていた様子でした。 私達も、明日は、早く出発するので、早く寝ようとしていたが、何故か、眠れなく本当に雄輝は、いいのか二人で、夜遅くまで話していた。でも、雄輝の昔からの夢、希望であるから、これで、良かったと二人で話し、いづれは、親の元を旅立つので、雄輝の夢が、少しでも近づいたと思いながら、眠りについた。

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平成16年2月26日・・・今朝は、家族4人が早く目が覚め、皆が雄輝に対して、一言頑張れよと言う。雄輝も、俺も、頑張るから大丈夫と言う。私が、車にエンジンかけに行く。皆が出てきたので、玄関で記念撮影をする。弟が、雄輝に、頑張って来てねと声をかける。雄輝も、弘俊に、お前も頑張れよ。雄輝が、弘俊に、お父さん達を頼むからねと言う。私が、雄輝に、夕べ遅くまで、弘俊と話していたと言うと、雄輝は、うんと言う。眠ければ、車の中で、寝てもいいぞ・・・私が、バックミラ-で、後ろを見ると、雄輝は、眠っていた。昼近くになったので、バイキングの店があったので、車を止め、昼ごはんを食べる。店には、雄輝の好きな桜餅などがあり・・・でも、雄輝は、食べなかった。他の肉や寿司など色々とあったが、余り食が進まなかった。私が、妻に雄輝が居ない所で、雄輝は、余り食べんねと尋ねると、妻は、先ほど、炭酸類を飲んだばかりなので、食が進まないと雄輝が言っていたと言う。でも、私は、心配で、雄輝に、腹はいいとかと尋ねると、雄輝は、今は、うん、まだいいと言う。腹が減ったら、早目に言えよと言うと、雄輝は、うん、大丈夫と言う。  夕方、W水産の事務所に着く。事務所の前で記念撮影をする。事務所に入り、会社の者に、雄輝の事を、宜しくお願いしますと頼む。雄輝に、頑張れよと言い、余り長いをすると、私自身、何か辛かったので、席を立ち、そのまま事務所を出る。私達は、もう一度、事務所の前で事務所を見る。私は、何か、いたたまれない気持ちに襲われ、涙が出そうな気がしてならなかった。私も、初めての経験なので、判らない・・・本当に、これで、良かったのか、あとがみがひかれる思いが強かった。今、考えると、この様な㈱W水産に神様達が入れるなと、教えていたのではと思う。でも、取り返しのつかない事を今考えると、したのである。私達は、雄輝に対して、すまない事をしてしまった。でも、雄輝の夢を親が、潰す訳にもいかない。俺達は、雄輝に対して、徹底的に戦い、雄輝に本当の誠を見せる。今考えると、俺が、雄輝の頭の毛を刈ったときの頭の毛を、直しておけば、雄輝の形見として、俺が、生きている間、身につけておけたのに・・・でも、こんな事になるとは、親として考えは、つかなかった。これが、昔の人が言った、後の祭り・・・

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雄輝が出発した後、二人で、世界地図を買い、㈱W水産の第108若潮丸の3月3日後の航跡をデバイダ-で計り、だいたいの速力を測り、地図上に書き込み、今、雄輝は、だいたい、この辺を走っているだろうと、想像しながら、近くの島などがあれば、インタ-で、そこの地域検索をするのが、私達の日課になりました。親子3人の仕事の写真を撮り、今度の転載がある時、雄輝に送ってやろうと、思っていた矢先、平成16年5月10日、雄輝の転落の電話が㈱若潮水産よりある。

雄輝自体、転落後、絶対に生きたかった。でも、生き様としても、その糧が無かった。何故なら、4隻居ながら、雄輝が生き様とする糧を、何もしていない。それどころか、第128若潮丸に対して、対策本部は、一日だけの捜索だけで、・・・マグロ釣りをしろと打電した。(後は、大海の中で、たった3隻)その時、ブイなど多数、海中に投棄してれば、雄輝が見つけて、浮く事が出来たはず。しがみつく物が何も無い海中で、どんな思いでいたか。でも、僚船4隻は、それを望まなかったのか。何もしていない。これでは、雄輝が生き様としても、諦める他なかったと思う。

私は、雄輝が海中に沈みながら、笑顔で 「お父さん・お母さん、ごめんなさい」と言って暗い海底に沈む夢を見た。それが、航海時の雄輝の最後の姿の夢です。その時、雄輝が、家に帰って来たのだと思います。 

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