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2006年3月25日 (土)

海難事故に会った、18才の成人式

延岡では、平成18年1月9日、成人式が有りました。

平成17年9月27日で、雄輝は、本当ならば20才でした。

父は、雄輝が20才になり、一緒に、お酒を飲む事を、楽しみにし、雄輝が航海中は、

絶対に飲まないと心に誓い、一滴の、お酒を飲む事も無く・・・ 

でも、雄輝は、平成16年5月10日に、若潮水産㈱ 第108若潮丸の違反操業で、18才7ヶ月で命を絶たれました。

私は、その後、前にも述べた様に、雄輝の為、この違反会社等と戦うため、お酒は飲まないと、心に誓い、今に至っています。

お酒を飲めば、雄輝の事から、逃げる事と、自分自身思っているので、飲む事は無いでしょう。

私達は、平成18年1月9日、宮崎県延岡市の文化センタ-で開催した成人式に、雄輝の写真を抱え、雄輝と一緒に成人式を迎えさせました。

  宮崎県延岡市の文化センタ-玄関での写真です

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成人式会場内の写真です。

561 この証書は、宮崎県延岡市成人式の記念式展のしおりの中にある部分を抜粋しています

若潮水産㈱の代表取締役 (船主) の子供も、今年が、成人式を迎えている事と思います。

この会社は、雄輝も成人式である事を意図的に忘れているのか、

自分達も子を持つ立場の人間なら、元従業員であった眞田雄輝の事を、

頭の中から削除しては、いけないのでは、ないだろうか・・・

この様な事だから、違反操業で他人から預かった、18才7ヶ月の命の尊さを、何故、判らないのか。

この様な事で、本当に、他人を使って、危険極まりない海域での操業を、本当に許して良いものか・・・

私達の雄輝は、今年、水産㈱の違反操業が無かったならば、家族での、雄輝に対して成人を祝ってやる事が出来た。

でも、私達の雄輝は、叶わぬ夢である。それどころか、私達の雄輝は、今年、5月10日は、三回忌である。

私達の胸中を、何故、若潮水産㈱の誰もが、気遣いなど人間として出来ないのか、不思議でたまらない。

この掲示板を見ている人達の方が、なんの責任も無いのに、私達に対して、心こもった対応で、コメントなど頂き、私達、心の底から、感謝しています。これから先も、私達の支えである、コメントなど宜しくお願いします。

今から先、川や海などで、水に親しむ事が、多くなると思います、どうか、皆様が事故の無い様に、過ごされる事を説に祈っています。 

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2006年3月24日 (金)

  海難事故に遭った、これからの遺族の使命

平成16年5月10日 亡雄輝の当時の新聞記事を掲載します。

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本当は、船長の謝罪、又、雄輝の船での生活などの話が、聞きたかった、私達が判っている事は、雄輝が船舶電話にて、3回の限られた時間内だけの話だけだったので・・・)

  

延岡地元の新聞である、夕刊デイリ-の、記者の人は、私達遺族の事を気遣い、宮崎海洋高校へ出向き、雄輝の事を取材して、載せて下さいました。私達は、有り難く思っています。 (延岡から片道2時間半位かかります)。

_109 この写真は、延岡の城山公園の桜です。

平成16年4月の桜で、雄輝に送ってやる為に写した写真です。

私達は、今から先、するべき使命は、雄輝の死を無駄にせず、これから先、海難事故が少しでも、無くなる様に、政府の関係機関各所に、嘆願して、私達の様な遺族が、少しでも無くなる様に、運動などをして行くつもりです。

私達の事ばかりで無く、皆様に関心を持って貰える様なブログを作成していきますので、これから先も、宜しくお願いします。

私達が、雄輝の為、横須賀の戦没者慰霊祭の帰りの道のりで写した写真などを、今から先も出しますので、興味のある方は、見て下さい。

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宮島での鹿です

Photo_3 防府の願かけ牛です

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防府天満宮の牛です

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2006年3月23日 (木)

  海難事故当時の様子

平成16年5月10日 いちき串木野市に本社がある 若潮グル-プ 若潮水産㈱等の説明による転落事故報告

マダカスカル沖、約2000kmの洋上にて、・・・・・5月10日22時10分頃、S41.40 E52.30付近にて甲板員(眞田雄輝)18才が、揚縄作業中に行方不明となった。

 

船内をくまなく捜索するも見当たらず、海中に転落したものと思われる。

 

眞田君については、5月10日20時10分頃(日本時間)甲板上で全員揚縄作業に就き、本人も元気で仕事をしていた。

 

本人は、22時頃船尾に浮き玉を収納しに行ったが、22時10分頃、甲板上へ復帰するのが遅いのに気付き、直ちに揚縄作業を中断し、全員で船内のあらゆる個所をくまなく捜索すると共に、

本船は直ちに反転して現在捜索中。 付近全船に捜索を依頼、特に社船3隻(8号・82号・128号)が近くで操業中のため、捜索の応援を求めた。

 大変な事故の発生となり、申し訳ございません。 現在の海上模様 西南西の風 風力3 天候 曇り 気圧 1003Hp 水温 13.0 発信人 船頭

上記の赤文は、第108若潮丸船員海中転落事故に関する通信

私達遺族が、後で判った事ですが、転落事故当時の現地時間では、約午後、16時40分頃と思います。 

又、海上保安庁警備救難部救難課 (監修)  社団法人日本水難救済会 (編) 国際航空海上 捜索救助マニュアルによれば 

水温13度の人の生存率は、海水温度10~15度の生存可能な時間は、6時間未満 (約3時間で有効な動きなどが、出来なくなる、又、身震いが停止する)

 

この様な場所では、上記にある様に、水温13度自体、陸上より危険度は、数倍の危険の上で作業しているので、

人の命の事を考えると、船主側、又、船の責任者たる者、安全の上にも、安全を重ね、一人作業をさせ、

又、作業用救命衣を未着用で、作業をさせるという事は、私達遺族に対しての裏切りである。 

父は、風呂に水を張り、私に氷を沢山入れさせ、水温13度になるまで、氷を入れろと言い、でも、家には、あまり氷が無かったので、

父は店に行き、氷を買って来る様に言った。でも、なかなか、水温13度は、出来なかった。

16度位下がりましたけど・・・父の唇の色は、真っ青になっていました。

 

でも、父は、雄輝は、これ以下の海に見捨てられて居ると・・・つぶやきながら、黙っていた・・・ 

南半球の5月からは、日本と反対で冬に向かっているのです。 

又、この南緯40度近くからは、世界の難所の吠える海・怒る海・狂う海と呼ばれている

全く着用など、頭からさせた事は、無いと聞き、私達遺族は、遺憾に思っています。

コメントの方も宜しくお願いします。

私達が、横須賀の戦没者慰霊祭に帰りながら、見た風景を見て下さい

Photo_1 雄輝が、宮崎海洋高校でハワイより立ち寄った、三崎港です。この時も、他の高校の船が停泊していました。

Photo_2 しまなみ海道の生口島の耕三寺です。外国より取り寄せた、大理石で造っています。

175_149 耕三寺  中も、とても見ごたえがありました。近くに行く事がありましたら、寄って見ると、いいと思います。

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2006年3月21日 (火)

 亡雄輝の家族の苦悩

私達も、本当は、平成16年の盆は、初盆とは、判っていても、私達の気持ちが、それを認める事が出来なかった。

この文を、読む人は、私達が、矛盾しているのでは無いかと、思うかも知れません・・・(平成16年8月22日お別れ会)

平成16年暮れも近づき、世間の人達は、正月などの準備などで、慌しくしている中、私達家族は、亡雄輝の事を思うと、いたたまれませんでした。

平成17年の正月は、雄輝が他界しなくても、私達家族とは、当然、いっしょには、正月は、出来ません。 

でも、私達家族は、判っていても、雄輝が他界をしているので、本当に、私達家族が正月を祝って、亡雄輝が、怒らないかと思う心がありました。 

次男が平成16年の10月に突然、精神的な病気になり、緊急入院を余儀されました。

私達の子供達は、今まで病院にかかった事が無かったので、私達は、何をどうすれば、良いか、戸惑いを隠す事は、出来ませんでした。

  

私達は、雄輝が生きながら、水温13度の異国の海で、

(私の母親も平成16年6月に、雄輝を思ってばかりいて、こけて、3ヶ月余りの入院をしました。)

この様な理不尽を、私達は、受ける理由は、全くない。この様な理不尽が通れば、世の中から、社会的ル-ル (法律) 今の世の中、人の命は、周りを見れば判る用に、法律でがんじがらめに成っている。

平成17年5月10日、雄輝の一周忌には、雄輝の同級生・下級生などが、家にわざわざ遠い所から、来てくれました。同級生達も、まだ、雄輝が他界した事を認め様とはしません。皆の顔を見ていたら、私達は、胸が締め付けられる思いがしました。

雄輝の友達の方が、よっぽど、社会的大人である。)

  

平成17年5月12日横須賀で船員戦没慰霊祭があるとの事で、雄輝の為、少しでも雄輝が成仏が出来る様に思い、私達夫婦で、行きました。私達は、 雄輝の干支が丑 (牛は、ゆっくりと、争いを好まず、人の為に役に立てる) の為、私達は、車で行っていたので、天満宮(菅原道真公)に寄り、牛の絵馬・置物などを、集めながら帰りました。 

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  遠洋マグロ船にて亡骸の無い18才7ヶ月のお別れ

又、親は、子供の成長と立派な船乗りになる姿を、思っていた。私達は、雄輝に対して、平成16年5月29日、認めたくないが、弔いをしてあげました。

又、次男である息子にも5月28日に、礼服を一式買いに行き、17才の息子に対して、礼服を揃える、親の気持ちが、若潮グル-プ若潮水産㈱は、皆無。

17才の息子も、成人式の服より先に礼服を着る気持ちが、この会社には、無い。

平成16年6月27日、 

私達は、雄輝が亡くなった事は、認める事が出来ないけど、親としてするべき事をしてあげたくて、49日の法要をあげてやりました。少しでも、亡雄輝が成仏出来る様に・・・・

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平成16年8月22日、お別れ会をしました。 お別れ会にあたり準備をしなければ、なりませんでした。宮崎海洋高校に行き、先生方に都合を聞いたり、バスの準備は、私達の方でするので、沢山の先生に来て下さいと伝えました。 雄輝の保育所の卒園式に私達が、雄輝の記念に、彼岸桜を植えました。私達が再度、保育所に雄輝の他界の報告と、お別れ会の日にちを伝えに行くと、男園長さんは、涙を流しながら、他の桜は、枯れるのに、私達の植えた、雄輝の彼岸桜は、毎年、咲いていると話してくれました

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雄輝は、小学校1年の時からの恩師には、毎年、年賀状を出していました。恩師は、雄輝が写真入りの年賀状を出していたので、雄輝の成長を見るのが、わが子の様に、楽しみにしていました。

小学校・中学校・高校の同級生・寮生と皆に伝言が伝わるか心配でしたが、お別れ会の日に沢山、来てくれてたので、良かったです。服装も卒業したばかりなので、礼服を持っていないと思い、普段着でも構わないと、伝えていましたが、皆、雄輝に対して、礼儀をわきまえ、それなりの服装で、来てくれました。 (若潮水産㈱に、これが、人としての常識ある姿である事を見せてあげたかった。一言の、ああ 無理でしょう、の発言があった、あの人道に、外れた者達には、お別れ会は、知らせるつもりは、無い。)

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葬儀屋さんに、雄輝の棺おけ・骨壷・霊柩車は、要りません、と言わせる、W水産㈱は、絶対に親として、許す事が、出来ない。 お別れ会に来てくださった人達に、雄輝の子供時代から今までの成長の写真を見て貰い、色紙に一言づつ、雄輝の思い出を書いて貰いました。607

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この写真は、雄輝に対しての、親として、出来る限りしてやったつもりです。

_8 この、戒名は、海洋院雄照輝孝信士・・・雄輝が、海が好きだった、雄々しく、輝き、親孝行の証で、つけて貰った戒名です。違反操業が、無かったら、親より先に行く、親不幸は、しなかったと思う。      

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