« 2006年4月2日 - 2006年4月8日 | トップページ | 2006年4月16日 - 2006年4月22日 »

2006年4月15日 (土)

雄輝の記録 誕生日

 

昭和60年9月27日 午前3時 心配で、病院へ電話する。  大丈夫との事で家に居る

落ち着かず、起きていると、「寝とくと良いのに」と、お父さんは言い、朝食を作ってくれました。

午前8時30分 破水し、慌てて、お父さんから病院まで、送って貰いました。

リンゲルをしながら、陣痛をおこしたり、薬を飲み、刺激させたり、お母さんは、陣痛が弱いので、なかなかでした。

あなたの、へその緒の始末が終わると、 「ほら、おちんちんが付いてますよ」 と、産まれたばかりの、あなたを見せてくれました。

暫くして、お風呂に入った、あなたを見せて貰い、お父さんに、似ているなあと、思いました。

お父さんは、釣りが好きだから、あなたが男の子で、嬉しいと思います。

皆が、お父さんに似てると言うと 「そうかえ」 なとど、照れていました。

お父さんの誕生日が、明日なので、あなたが、お父さんへのプレゼントですね。

お母さんが、後で聞いた話ですが、お父さんは、院長先生に、あなたの誕生日を、(もう少しで、28日になるので)、28日にして貰えないか、話したそうです。 

昔だったら、そう言う事も、有りましたが、今は、駄目ですね と言われたそうです。

 昭和60年9月27日 午後6時36分出生

 男子   2638g  B型

  命名   眞田雄輝

命名は、お父さんが、名づけました。

雄姿 輝く 人間になる様にと

雄輝の亡骸も無い

私達遺族に残された形見は、 雄輝のへその緒

生まれたばかりの髪の毛 だけです。

_010 _011_1 Photo_6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月14日 (金)

延岡大師祭り

100045_16241059_1平成18年4月14日 九州3大春まつり 

延岡大師祭が、始まりました。

今年は、14日~16日まで、行われます。

今山大師像は、日本一のお大師さんです。

雄輝も子供の頃から、おだいっさんが始まると、今山大師像へ登っていました。

左の写真は、初めての、おだいっさん(昭和61年4月19日)  

まだ、歩けなかったので、抱っこされて、お参りしました。

右の写真は、 (昭和62年4月18日) 

初めて自分で歩いて、登りました。 疲れたかな

平成18年4月14日 今日は、雄輝の事を思いながら、久しぶりに今山大師像に、お参りに行きました。

昔は、ここで、バナナ売りをしていたよね。 威勢の良い声で、楽しかったよね。

子供達は、金魚すくい・ヨ-ヨ-すくい などしたよね。

ヒヨコの色つきが売られてた時は、珍しそうでした。

子供の頃は、綿菓子 (中身は、同じなのですが、袋の絵が色々あり、選んでました) 必ず、買ってたよね。

大師像までの道のり 昔の事を話しながら、登りました。

出店の中で、箸巻きが好きだったのですが、今日は、早くに出かけたので、箸巻き屋さんが無かったので、イカの姿焼きを、お土産に買いました。

日曜日になると、パレ-ドなどもあり、大変、賑わいます。

私達が写した、今日の風景を見て下さい。

_005_1 _018

_001_2

おだいっさん は、お接待のまつり とも言われています。

各町ごとに、大師講の小堂を持ち、まつりが始まると路地に持ち出し、道行く人を接待するのです。

詳しく知りたい方は、 ホ-ムペ-ジ 今山大師 で検索して下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月13日 (木)

雄輝の記録 誕生までの事

私達に残された物は、雄輝の思い出だけしか、残されていません。

私(妻)は、雄輝が生まれる前から、日記を書いていましたので、日記を抜粋したり、先生達の言葉・雄輝の写真などを含め、雄輝が、私達から、18年7ヶ月、どんなに愛され、大事に育てられたか、私達の宝物として、記録として、綴らせて頂きます。

今日が、私(妻)の誕生日であるので、記念日として、書き始めさせて頂きます。  妻の事は、お母さん 夫の事は、お父さんと表現させて頂きます。

昭和60年2月  お母さんは、胸がつかえ、普段より酸っぱい物が欲しくなり(大根の酢の物を食べました)、気分が悪く、吐き気があり、もしかして妊娠しているのかなと感じました。 

昭和60年2月19日  初めて病院へ行き、あなたの姿を超音波で見ました。 

もう、あなたは、足を動かし、3ヶ月で9週目に入っていました。 

今まで、お母さんが苦しかったりしたのは、あなたが、いたからなのだと感じ、あなたの存在が、はっきりして、大事にしなければと、思いました。

予定日 昭和60年9月23日

お父さんに、妊娠であると話すと、とても、大喜びでした。  お母さんの祖母は、初孫なので、とても、楽しみにしました。

昭和60年3月19日  今日は、あなたの元気な心臓の音を聞きました。 

お母さんは、骨盤が狭いので、3000g以下の子供を、産みなさいと、先生に言われました。 あなたを小さく産んで、大きく育てる事にします。

お母さんは、それ程、つわりがないのですが、お父さんが気分が悪く、胃が悪いのだろうかと思っていたら、 (普通、母親に無い時は、父親につわりがあると、聞きました。)  だから、お父さんが、つわりになっていたのでしょう

お父さんは、父親の愛情を知らないので、自分の子供達には、人一倍の愛情を注ぎたいと、願っていました。

昭和60年4月6日 延岡市役所へ母子健康手帳を、貰いに行きました。 又一つ、母親になるのだと思う自覚を感じる。

昭和60年4月17日 5ヶ月検診   犬の日なので、腹帯をして貰い、赤飯を作り、お祝いしました。

昭和60年4月25日 お腹の中から、つつかれる感じ。 あなたが、動き始めたのでしょう。

昭和60年5月22日 6ヶ月検診  お母さん、少し、貧血気味 でも、あなたは、元気だそうです。

昭和60年6月21日 7ヶ月検診  あなたは、逆さになっているそうです。  逆さを治す体操を指導して頂く。

昭和60年7月5日  7ヶ月検診で、逆子になっていたので、もう一度、検査

普通の赤ちゃんに戻っていました。

3日前から、特に、あなたの動きが、大きくなっていました。

昭和60年7月19日  8ヶ月検診  丁度、良い大きさだそうです。 頭が少し、大きいかなと言われました。

あなたの動きが、一段と活発になりました。 元気な印ですね。

お父さんも、お母さんのお腹(あなたに、話しかけたり)触ったりしています

昭和60年8月2日 9ヶ月検診  あなたが、少し小さいと言われましたが、元気だから、良いそうです。

前置胎盤に、なっているそうです。 心配しなくて良いとの事でしたが、やはり、心配です。

昭和60年8月16日 9ヶ月検診(月2回の検診に入りました)  あなたが動くと、痛さを感じます。 小さいけれど、2700gは、有るでしょう。

高齢出産の年齢の始まりだから、小さく産んで、大きく育てる方が、良いですよと、先生に言われました。

昭和60年8月30日  10ヶ月検診  塩分と水分の取りすぎに、注意しなさいと言われる。  昨日、お父さんが、カニを茹でてくれ、食べたので、その塩分が残っていたのではないかと、二人で笑いました。 

お父さん、迎えに来てくれました。 やさしいですね。

昭和60年9月6日  10ヶ月検診  お母さんの友達二人が、最近、帝王切開で、子供を産んだので、お母さん、ちょっぴり、不安なのです。

お母さんは、あなたと頑張りたいから、普通で産まれてね。

昭和60年9月13日  10ヶ月検診  予定日まで、10日 会社も、今日までで、明日から休みます。

昭和60年9月17日  今日は、ミシンで、おしめを縫いました。 座ってのミシンだったからでしょうか、お尻の肉が、痛くなりました。

昭和60年9月20日  10ヶ月検診  別に異常なし

子宮を開く為の注射・心電図を検査しました。  もし、帝王切開になった時、慌てなくて良い様にとの事でした。

お父さんも一緒に、病院へ行きました。

昭和60年9月24日  検診   あなたは、ちっとも下がっていないそうです。  どうりで、胃の方が、もたれると思いました。

あさって、病院へ行き、変わらなければ、帝王切開になるかも判りませんよと、言われました。

少しでも、一緒に頑張りたいです。

あなたも、居心地が良いのかも知れませんが、そろそろ、出る準備をしてくれませんか お母さんからの、お願いです。

021_1 _004

カテゴリの

雄輝18年間の記録

今から、書きますので、宜しくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

亡き者に、された雄輝18才

035_1  

雄輝は、日本より約12、000km離れた、マダカスカル沖約2、000kmの洋上で、水産㈱ 第108若潮丸 庭月野忍船長 及び 漁労長、操業中にて、安全配慮義務違反 、又、 船員労働安全衛生規則違反 にて、転落事故死しました。

この海域では、南半球なので、雄輝の転落時の季節は、冬に向かっています。

第108若潮丸は、時速で書きますけど、 (船舶は、1ノット 1,852m) 第108若潮丸は、約10ノット位と思います。 (時速18Km  1日 24時間X18km=480km)

雄輝の転落の場所まで、日本から、約25日位だと思います。

これで判る様に、雄輝が、本格的に仕事を始めて、約1ヶ月足らずの事故です。

この様な状態で、水産㈱ 00専務は、雄輝が、海洋高校で、実務経験があった為、

一人作業・ 作業用救命衣着用などの船員労働安全衛生規則違反などを、実務経験が有ったので、違反作業をさせた。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 9日 (日)

 海の男の、男の姿

平成18年4月9日 私達は、今日、ある漁港の近海まぐろ船の、船主の自宅を、訪問しました。

そこには、家を預かる奥さんが、いました。 私達は、何の連絡もせず、突然の訪問となりました。 奥さんと、少しの時間をかりて、私達の事を述べました。 奥さんは、何のためらいも無く、私達に、快く応対して頂きました。

私達が、自宅を預かる奥さんに、今のまぐろ船などの海に対する、安全を聞きました。 奥さんは、まぐろは、確かに獲れない時もあり、値段もばらつきがあります。 でも、うちの方は、その様な事は、二の次にして、船員達の安全に対して、一番気をつけます。 

魚は、獲れる時は、獲れ、獲れない時は、諦めます。 でも、安全を怠ったら、船主は、大変な事では、済まない事になりますから。

私の方は、 (船主) 船員が、無事に出て、無事に連れて帰るのが、船主の義務ですから。

船主は、作業用救命衣は、いつ、いかなる時も、身に着けます。 水産ガッパの着用している時は、その下に着けます。 又、ここの漁港では、漁港が、皆に作業用救命衣の着用を、漁港全体で、徹底しています。

奥さんは、作業用救命衣は、着用義務でしょう と、私に問いかけました。 

私は、この船主の奥さんも、立派だけど、又、旦那さんも、海で生きる本当の、あるべき海の男だと思いました。 この様な、船主さんが、今から先、本当の、まぐろ漁を、続けて行く資格の人達と、私は、思いました。 この様な船主さんが、増えれば、安全は勿論、まぐろの減少にも、歯止めがかかると思いました。

人の命も、ないがしろにして、まぐろだけに、目がいっている船主は、国が、徹底した安全教育を、しなければ、私達の様な遺族は、減らないと思います。

名前などは、今回は、伏せて貰いますが、本当に、有難うございました。 又、機会があったら、ここの漁港に来て、色々な人達と、話をし、又、書き留めます。 

   ここの人達の、皆、安全で豊漁を、願っています。

Photo_5 この花は、ヘッカランです。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2006年4月2日 - 2006年4月8日 | トップページ | 2006年4月16日 - 2006年4月22日 »