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2007年1月20日 (土)

生命のメッセ-ジ展 早稲田大学 実行委員長のお礼

生命のメッセ-ジ展 早稲田大学は平成18年12月5日から10日 早稲田大学学生会館で開催されました。

実行委員長さんから、お礼状を頂きました。

一部紹介したいと思います。

早稲田大学でのメッセ-ジ展も今年で3回目となりましたが、今年もまた様々な出会いや感動がありました。

例年のように、学生スタッフひとりひとりがメッセ-ジ展に携わる中で多くのことを学び感じ考えさせられ、それらすべてがそれぞれの胸に深く刻み込まれたように思います。

机の上で勉強するだけでは決して学ぶことの出来ない「いのちの尊さや大切さ」「残されたご遺族の悲しみや苦しみ」などを体と心で感じ、心を震わせ涙を流した経験は、かけがえのない貴重なものでした。

このような機会を与えて下さった参加ご家族の皆様、ならびに支援者の皆様には感謝の言葉が尽きません。

私たち未熟な学生スタッフを常に温かく見守り、励まし支え続けて下さり本当にありがとうございました。

「ひとりでも多くの人に、メセンジャ-と対話してもらいたい。」その強い思いが私達学生スタッフを動かし、支え、何とか無事6日間の開催を終えることが出来ました。

多くの方々のご支援ご協力に、あらためて御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

上記が御礼文でした。

実行委員長の00さんは、お母様が癌と闘い続けている状態の時、メッセ-ジ展を頑張ってやり通して下さいました。

12月18日に51歳で亡くなったそうです。

彼女は、お母様の側に付き添っていたかったに違いありませんが、私達の為に頑張って下さいました。

私達は、彼女に感謝しています。

そして彼女は、お母様が亡くなり、こんな風に感じているそうです。

私は今、[母をどう生かしていくか」を日々考えています。

そして、私の生きていく姿に母を重ね、母をいつでも思い出してもらうことで、母はずっと生き続けることが出来る。

人は、忘れられた時に死ぬのであって、それならば今を生きている私達が母のことを忘れなければ母は行き続けることが出来るのだと考えるようになりました。

こんな風に考えられるようになったのも、3年間メッセ-ジ展に携わり、メッセンジャ-やご遺族の皆様から「死者は無力ではない」ことを教えてもらったからです。

もしメッセ-ジ展と出会っていなかったら、私はこんなにも母の死を真正面から受け止めることは出来ていなかったと思います。

あらためて、生命のメッセ-ジ展に出会えて良かったと心から思いました。

本当にありがとうございます。

上記が今感じている気持ちだそうです。

メッセンジャ-達は、今の世の中の憤り・不条理に怒り・命の尊さの大切な事を皆様に伝えています。

近くでメッセ-ジ展がある時は、是非、足を運んで下さい。

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2007年1月18日 (木)

仏壇の思い

眞田雄輝が他界後

私達は仏壇は持ちたくない気持ちがありました。

それは、雄輝が亡くなったという気持ちを、私達は受け入れる事が、どうしても出来なかったのです。

雄輝が転落したとの電話があった前の日に、雄輝からの船舶電話があったばかりだったからです。

でも、歳月というものは、気持ちを少し変えました。

私達は、位牌を雄輝の為、立派な物にしてあげようと思い、仏具屋に足が向きました。

位牌をみているうちに、私達は仏壇自体絶対に持ちたくない。

雄輝が他界した事を認めたくもなかった。

でも、気持ちと裏腹に位牌を買いに行ってたのです。

主人は仏具屋の中をふらっと歩いているうちに、一つの仏具の前から動こうとはしませんでした。

仏具屋だから仏壇は沢山有ります。

でも、あれ程拒否していて堅物な主人は、一つの仏壇から動こうとはしませんでした。

主人がぽつりと言いました。

この仏具を雄輝は、成人式前に自分の住家としているのではないか・・・・

何故か、今でも主人は、分からない・・・

仏壇は、雄輝の成人式の前日に私達の元へ届きました。

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2007年1月17日 (水)

平成16年1月17日

もう一つの1月17日

雄輝が最後の高校生活の冬

大親友(宮崎の日南)が泊まりに来てくれました。

雪を見たことが無いとの事。

この日は、延岡から1時間の所では雪が積もっているとの事で出発

宮崎は南国と言われますが、五ヶ瀬ハイランドスキ-場があり、スキ-が出来るんですよ。

この日は、高千穂に行くと既に雪が積もっていました。

神話の国 高千穂と呼ばれています。

滅多に雪を見ない二人は、幼児の頃に戻り、雪ダルマを作ったり、雪投げと、濡れる事は考えず、はしゃいでいました。

この写真の姿を見ていると、2人とも素直な姿しか浮かびあがりません。

今日は、延岡は雨だったので、後日、雄輝の航跡を追いに高千穂に行き、写真を撮ってきます。

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平成18年1月17日

12年前の1月17日は、阪神大震災がありました。

多くの方が亡くなり、今でも心に傷を持っている方、孤独死で亡くなっている方がいます。

何年経っても、忘れては成らない、命の尊さ・重み・虚しさ・心の傷・・・・

私達にとっての1月17日は、雄輝の命を奪った第108若潮丸が、日本に帰港し実地検証が行われ、

司法などが的確な事をしてくれるものと信じ、雄輝にも保安官達が今日してくれているからと仏壇の前で報告をし、息子の無念が少しでも晴らされると思っていました。

雄輝の乗っていた船 (雄輝が出港する時、見送りに行けなかったので、迎えに行くと雄輝と約束をしていました) を人目でも見たいと、串木野港へ2人で行ったのですが、若潮丸の姿はなく

遠くにマグロ船が見え、沖で実地検証しているのだろうか?

一日中、串木野港に居ましたが、若潮丸を見る事はありませんでした。

後に串木野海上保安官から鹿児島港の谷山で実地検証をしたと聞く。

串木野海上保安官は、私達に船を見せたくなくて場所を教えなかったのか?

親は、元気で帰ってくるものと期待しているのも親である。

又、一回りも二回りもたくましくなっている姿を見たかったのは、親の欲というものですか・・・

親は、そのような元気な子供の姿を見る権利がありました。

日々の出来事を子供から聞くのも楽しみでした。

雄輝も色々な話をしたかったに違いありません。

子供を持つ親は、子供が理不尽で命を絶たれた親の気持ちを分かって下さい。 

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2007年1月15日 (月)

管轄区域

神戸地方海難審判庁 神戸市 管轄区域
富山県 石川県 福井県 滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県 徳島県 高知県
ニ線及び兵庫県と鳥取県との海岸境界(汐吹埼)から零度にニ線まで引いた線(以下「チ線」という。)以内の領海
ヘ線以西の領海(広島地方海難審判庁、門司地方海難審判庁及び長崎地方海難審判庁の管轄区域を除く。)
海難審判法第十九条第三項の規定による事件の管轄
ニ線及びチ線以内の国外の水域において発生する事件
ヘ線以西でト線以東の国外の水域並びにこれに接続する河川及び湖において発生する事件(広島地方海難審判庁、門司地方海難審判庁及び長崎地方海難審判庁の管轄に属する事件を除く。)
ト線以西の大西洋、メキシコ湾及びカリブ海並びにこれらに接続する河川において発生する事件

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海難審判法

第四条  海難審判庁副理事官の任命資格を有する者は、次の各号のいずれかに該当する者とする。
 一級海技士(航海)又は一級海技士(機関)の海技免許を受けた者
 二級海技士(航海)又は二級海技士(機関)の海技免許を受け、かつ、次に掲げる職の一又は二以上の経歴を有し、その年数が通算して六年以上である者
 海上保安官、海難審判庁事務官又は船舶検査官
 学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)第一条 の高等学校又は中等教育学校、独立行政法人海技教育機構その他国土交通省令で定める教育機関の船舶の運航又は船舶用機関の運転に関する学科の教員
 前条第一号に規定する船舶の船長、航海士、機関長又は機関士
 三級海技士(航海)又は三級海技士(機関)の海技免許を受け、かつ、前号イからハまでに掲げる職の一又は二以上の経歴を有し、その年数が通算して八年以上である者
 三年以上職務の級が公安職俸給表(二)の三級若しくはこれに相当すると認められる級以上の海上保安官、職務の級が行政職俸給表(一)の三級以上の海難審判庁事務官その他の海事に関する事務を所掌する職又は職務の級が専門行政職俸給表の二級以上の船舶検査官若しくは海技試験官の経歴を有する者

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