中学卒業式
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平成16年2月1日~3日 眞田雄輝が友達と卒業旅行に行った日です。
卒業旅行は、沖縄に行きたいと計画を立て始めましたが、皆の旅行日程を決めていると日にちが余りなく、大分の杉の井ホテルに決定しました。
ホテルの部屋の中での親友が妹の土産に買ったぬいぐるみです。
この時、杉の井ホテルでは、棚湯が有名で、屋上にあり外の景色を眺めながら、ゆったりと湯船につかれるのです。
雄輝達は、3日間別府の町を巡る事もせず、ホテルにあるボ-リング場(当時、ボ-リングに凝っている友達がいた為)・ゲ-ム場で遊んだ様子でした。
近くの卒業旅行だったけど、友達同士の友情が深まったと喜んでいました。
雄輝が他界した後、一緒に旅行に行った親友の家に行った時、雄輝が別府旅行の土産を、親友のお母さんにあげた事を知りました。
お母さんは、雄輝が泊まりに来た時の事を涙を流しながら話してくださり、雄輝君からの土産は、私の宝物です、と言って下さいました。
親友のお母さんは、何故、雄輝君がこんな目にあわなくてはならないのかと、語ってくれました。
親友のお父さんも、その時は、船舶に乗っていましたが近くの港に行き、すぐ私達の元へ飛んで来てくれました。
雄輝は、人に対しては気遣いをし、優しい子供でした。
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眞田雄輝、四級海技士は、2年以内に口実試験だけで合格でした。
三級海技士は、3年で取得する事が出来ました。
でも、これは、乗船69日目で、船員法違反などで、他界させられました。
雄輝は、将来の設計も立てており、すべて無にさせられました。
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風化させないでください。亡眞田雄輝(当時18才)の願いです
転落行方不明になった息子は、子供の頃から海が好きで、中学時代には船に乗る仕事を、したいと考え、高校は海洋高校に行くと早くから決めていました。
高校時代は、必要とする免許も頑張って取得しました。
将来の第一歩として、A社は給料も良いし、大きい船に乗れる事で夢を膨らませていました。
求人票には、入社が4月1日と書いてあったので、そう思っていたら、2月5日、A社事務所で船員手帳の手続きで行った時、2月27日焼津集合、3月3日焼津港出港。
出航期間18ヶ月が22ヶ月に、なったと聞かされました。
雄輝は、A社に役に立つ船員になりたいと、卒業式までの自宅待機の時も、学校に行き、授業では習わなかった、ロ-プワ-ク・ワイヤサシなど、船に乗った時必要なな事を、勉強に行きました。
学校側は、正式な卒業式に間に合わないとの事で、雄輝の為に2月20日先生・生徒を集めて、卒業式をしてくれました。
雄輝は皆に感謝し、仕事はたいへんだろうけど、皆に会うのを、楽しみに頑張りたいと、言っていました。
平成16年5月9日(母の日)、船舶電話から運搬船で送って貰いたい品が何かを、話しました。
その次の日、5月10日、転落行方不明と連絡が来る
出航して69日目
私達は、頭の中が真っ白になり、何がどうなったのか、訳が判りませんでした。
これでは、18歳で亡くなった雄輝に対して、私達は、申し訳無いと感じ、1から船に関する事・法律を勉強して来ました。
船主側は、第一に安全・第二に品質・第三に漁獲高、この様な体制でやって貰いたい。
人の命は、何人たりとも、犯す事は出来ない。
もし、これを犯したならば、法律により、罰せられる。
これが社会的ル-ルである。
これは国民の権利である。
船主側は、本当に船の周りは何があるか、知っているのだろうか。
船の周りは、奈落の海以外何も無い。
その様な環境の中で作業させる以上、国が定めた法律を、繰り返し、繰り返し、徹底させる義務があると思う。
国土交通省も、地方任せで無く、徹底的に調べて頂き、船主に船主の自覚・海難事故防止を、させて貰いたいです。
雄輝自体、転落後、絶対に生きたかった。
でも、生き様としても、その糧が無かった。
しがみつく物が何も無い海中で、どんな思いでいたか。
これでは、雄輝が生き様としても、諦める他、無かったと思う。
父は、雄輝が海中に沈みながら、笑顔で「お父さん・お母さん、ごめんなさい」と言って沈む夢を見ています。
それが、航海時の雄輝の最後の姿です。
私達は、雄輝の命を、無駄にしたく無いし、私達が、どれ程の苦痛を味わっているか、本当に判る人は少ないと思います。
私達の様な苦痛を、味わう人が居なくなる様に、徹底して頂きたいし、私達も、国と協力して、海難事故防止に向けて行動して行きたいと考えています。
(未だに、亡骸はないままです)
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もう一つの1月17日
雄輝が最後の高校生活の冬
大親友(宮崎の日南)が泊まりに来てくれました。
雪を見たことが無いとの事。
この日は、延岡から1時間の所では雪が積もっているとの事で出発
宮崎は南国と言われますが、五ヶ瀬ハイランドスキ-場があり、スキ-が出来るんですよ。
この日は、高千穂に行くと既に雪が積もっていました。
神話の国 高千穂と呼ばれています。
滅多に雪を見ない二人は、幼児の頃に戻り、雪ダルマを作ったり、雪投げと、濡れる事は考えず、はしゃいでいました。
この写真の姿を見ていると、2人とも素直な姿しか浮かびあがりません。
今日は、延岡は雨だったので、後日、雄輝の航跡を追いに高千穂に行き、写真を撮ってきます。
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9月27日 雄輝21才の誕生日でした
私達の知人が雄輝の誕生日と知り、家に来て下さり、
私達家族に素晴らしいプレゼントを下さいました。
ライタ-に雄輝の顔・舵輪の模様
家族の名前 ファミリ-の絆の言葉を刻んでいました。
私達の気持ちを其のまま託した様に思え、
思いもよらないプレゼントに涙が流れました。
主人に使ってくださいと言いましたが、
傷が付くのが嫌だから、
雄輝の側に置かせて貰う事にしました。
いつも私達の事を気遣って下さり感謝しています。
夜は雄輝を連れて食事にも行きました。
毎年誕生日には、ケ-キを買ってたので、勿論、今年も買い、
21本のロ-ソクを灯しました。
ロ-ソクは、家族3人で・・・・
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魚釣りが大好きなお父さんは、鮎かけもするので、お父さんが釣った鮎を、初めて、雄輝も食べたね。
毎年、食べていたので、骨抜きも上手だったね。
延岡鮎は、有名です。下をクリックして見て下さい。
http://www15.ocn.ne.jp/~nobekan/food/ayu/ayu.html
歩行器にも乗れるようになったけど、足が少し届かなく、最初は、足のところに座布団を置き、座っていました。
自分で動かせるようになった時、前ではなく、後ろに進んでいたね。
誕生日の餅踏み
まだ歩けなかったので、お母さんに抱えてもらったね。
色紙に、手型・足型の記念を作り、元気に育つ事を、願いました。
成人になるまで守ってあげれず、ごめんなさい。
でも、これから、海難事故撲滅に対して、頑張るので、
雄輝が、見守っていて下さい。
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今日は、こさん竹採り
こさん竹を採るのは、祖母が好きで、何処にあるかを知っていたからなのです。
家族、皆で出発
雄輝も袋を、手に持ち、竹やぶの中へ
こさん竹は、たけのこと違い、細いので、手で簡単に折れるので、道具など無くて良いのです。
雄輝も、折るのがおもしろくて、次から次と
袋の中は、沢山のこさん竹
川沿いなので、こさん竹を採った後は、川で水遊び
勿論、こさん竹は、雄輝・弟で、皮むきまでしました。 皮むきは、何処までむいて良いのか?
これだけに、なったよ と、小さくなった、こさん竹を見て、笑う
私達が住んでいる延岡は、川・海・山と、手軽に行ける場所なので、子供達に自然を学ばさせるには、とても良い所だと思っています。
雄輝も、自然に育まれ、素直で、やさしい子供に育ってくれました。
私達のフログは、カテゴリの中の、・ お知らせ ・ 初めての方は、 ・ をクリックして下さい
私達遺族は、二度と、この様な海難事故が、無くなる様に、これから先も、頑張っていきます。
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初節句で貰った、こいのぼり、大きくて、住んでいる所が、アパ-トなので、揚げれなかったね。
雄輝も、お座りが出来る様になり、この日は、こいのぼりも、雄輝の遊び相手
お父さんは、こいのぼりの中に、雄輝を入れたりして、雄輝よりも、お父さんが楽しんでいたのかも?
初節句のお礼の品と一緒に、短冊を配るのですが、短冊の写真は、2月14日バレンタインの日の写真
お父さんの座椅子に、雄輝が座り、「僕もチョコレ-ト頂戴・お父さんより、僕だよね」と言いたげに にこにこ顔です。
2才の時には、4月になると、お父さんが、早くから、こいのぼりを揚げてくれたね。
こいのぼりが、揚がると外に出て、「やった~ こいのぼり 大きいね」
兄弟二人で、仲良く外に出て、はしゃいでいたね。
お父さんも、二人が仲良く遊んでいる姿、窓越しに、眺めていたね
3才の時には、保育所で作った、こいのぼりを持ち、二人で、どっちが大きいかな。
外で泳いでる、こいのぼりが一番大きいね。
お風呂に、菖蒲を入れていたら、「草が入っているから、お風呂、入れないよ」と言った事もあったね。
初節句に、祖父母に買って貰った、五月人形は、今でも、 大きく・元気で育ってね と、語りかけています。
端午の節句とは、強い香気で厄払いする菖蒲湯に入る事で、無病息災を願うそうです。
こいのぼり は、登竜という激流(登竜門)を鯉が登ったという中国の伝説を受け、鯉には、出世と健やかな成長を願う親の気持ちが託されているとの事です。
今日は、雄輝と一緒に、ちまきを食べます。
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「明日は、あさり堀に出かけるから、貝堀の準備をするぞ」と、お父さんが声をかけ、皆で準備
子供達は、自分の道具の準備 小さなスコップ・ザル・熊手
子供達が「お父さんは、大きなスコップ・大きなザルを持っていくちゃろ」と、尋ねる。
いつもの、お父さんへの期待である。
当日は、干潮めざして、出発。
泥んこになりながら、一個見つけては、あさりの模様を眺めたり、まて貝を見つけては、珍しそうに「こんな貝がいたよ」と話しかけながら、掘っていましたね。
子供達は、どっちが沢山獲るか、大紛争
お父さんの所へ行っては、ザルに入った泥と貝に、水をかけ、いっしょに振るったりしていましたね。
貝堀が終わると、近くでお弁当を広げ、食べて帰っていましたね。
赤い服の時が、小学2年生
白い服の時が、小学3年生
連休が来ましたが、忙しいお父さん・お母さんも、いらっしゃるかも知れませんが、特に小さい子供さんが、いらっしゃる方は、少しの間だけでも、子供との時間を作って、時間を大事に過ごして頂きたいと思います。
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平成60年10月3日 退院の日が来ましたよ。
初めての外出服を着せて貰い、退院の日は、お天気が良くて、太陽が、眩しかったね。 雄輝が着た初めての外出服は、今でも大事に、直していますよ。
家に帰ると、早速、お父さんに、タライのお風呂入れてもらい、気持ち良さそうだったね。
暫くすると、タライではなく、お父さんと一緒に、お風呂入る様になったね。 お父さん、雄輝とお風呂に入るのが、楽しみで仕事から帰ると雄輝の顔見て、抱っこして、お風呂入っていたね。
爪で、顔に傷がつかない様に、手袋作ったり、爪を切ってあげたり、雄輝の世話をするのが、お母さんは、楽しみでした。
昭和60年11月3日 神社で宮参り 宮参りの後は、親戚の人達と囲んで、家で食事 皆から抱っこして貰い、良かったね。
初めてのお正月 お天気も良く、暖かだったので初詣へ行きましたよ。 起きてて、お参りできたね。
100日が来ました
お父さんは、知り合いに、なまずを注文して、100日には、なまずもありました。
雄輝は、まだ、食べれなかったけどね。 食事が出来る様になってからは、好き嫌いもなく、文句も言わなかった雄輝でしたね。
雄輝の記録を書き始め、大事に直していた日記を出し、読み直しをしてて、こんな事もあったのだと、しみじみ感じ、読んでいると、涙がこぼれてしまいます。
今の私達は、思い出だけを、語る事だけしか出来なくなってしまいました。
三回忌が近づくにつれ、心が揺らぎ、夜も寝れなく、涙が溢れ、何故、こんな気持ちになるのか????
18年7ヶ月、人に後ろ指、さされる様な事など、一度も無かったのに、
私達は、雄輝に対して、悔やんでも、悔やみきれない・・・・
本当に、雄輝に、すまないの一言だけしか、仏壇に向かって・・・
私達は、仏壇に向かって、神様達に、雄輝を天国に絶対導いて下さいと、朝晩願っています。
思い出だけしか残されていない私達に、雄輝の事を知っている人・友達など今以上に、遠慮しないで、遊びに来て貰いたいと思っています。
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昭和60年9月27日 午前3時 心配で、病院へ電話する。 大丈夫との事で家に居る
落ち着かず、起きていると、「寝とくと良いのに」と、お父さんは言い、朝食を作ってくれました。
午前8時30分 破水し、慌てて、お父さんから病院まで、送って貰いました。
リンゲルをしながら、陣痛をおこしたり、薬を飲み、刺激させたり、お母さんは、陣痛が弱いので、なかなかでした。
あなたの、へその緒の始末が終わると、 「ほら、おちんちんが付いてますよ」 と、産まれたばかりの、あなたを見せてくれました。
暫くして、お風呂に入った、あなたを見せて貰い、お父さんに、似ているなあと、思いました。
お父さんは、釣りが好きだから、あなたが男の子で、嬉しいと思います。
皆が、お父さんに似てると言うと 「そうかえ」 なとど、照れていました。
お父さんの誕生日が、明日なので、あなたが、お父さんへのプレゼントですね。
お母さんが、後で聞いた話ですが、お父さんは、院長先生に、あなたの誕生日を、(もう少しで、28日になるので)、28日にして貰えないか、話したそうです。
昔だったら、そう言う事も、有りましたが、今は、駄目ですね と言われたそうです。
昭和60年9月27日 午後6時36分出生
男子 2638g B型
命名 眞田雄輝
命名は、お父さんが、名づけました。
雄姿 輝く 人間になる様にと
雄輝の亡骸も無い
私達遺族に残された形見は、 雄輝のへその緒
生まれたばかりの髪の毛 だけです。
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延岡大師祭が、始まりました。
今年は、14日~16日まで、行われます。
今山大師像は、日本一のお大師さんです。
雄輝も子供の頃から、おだいっさんが始まると、今山大師像へ登っていました。
左の写真は、初めての、おだいっさん(昭和61年4月19日)
まだ、歩けなかったので、抱っこされて、お参りしました。
右の写真は、 (昭和62年4月18日)
初めて自分で歩いて、登りました。 疲れたかな
平成18年4月14日 今日は、雄輝の事を思いながら、久しぶりに今山大師像に、お参りに行きました。
昔は、ここで、バナナ売りをしていたよね。 威勢の良い声で、楽しかったよね。
子供達は、金魚すくい・ヨ-ヨ-すくい などしたよね。
ヒヨコの色つきが売られてた時は、珍しそうでした。
子供の頃は、綿菓子 (中身は、同じなのですが、袋の絵が色々あり、選んでました) 必ず、買ってたよね。
大師像までの道のり 昔の事を話しながら、登りました。
出店の中で、箸巻きが好きだったのですが、今日は、早くに出かけたので、箸巻き屋さんが無かったので、イカの姿焼きを、お土産に買いました。
日曜日になると、パレ-ドなどもあり、大変、賑わいます。
私達が写した、今日の風景を見て下さい。
おだいっさん は、お接待のまつり とも言われています。
各町ごとに、大師講の小堂を持ち、まつりが始まると路地に持ち出し、道行く人を接待するのです。
詳しく知りたい方は、 ホ-ムペ-ジ 今山大師 で検索して下さい。
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私達に残された物は、雄輝の思い出だけしか、残されていません。
私(妻)は、雄輝が生まれる前から、日記を書いていましたので、日記を抜粋したり、先生達の言葉・雄輝の写真などを含め、雄輝が、私達から、18年7ヶ月、どんなに愛され、大事に育てられたか、私達の宝物として、記録として、綴らせて頂きます。
今日が、私(妻)の誕生日であるので、記念日として、書き始めさせて頂きます。 妻の事は、お母さん 夫の事は、お父さんと表現させて頂きます。
昭和60年2月 お母さんは、胸がつかえ、普段より酸っぱい物が欲しくなり(大根の酢の物を食べました)、気分が悪く、吐き気があり、もしかして妊娠しているのかなと感じました。
昭和60年2月19日 初めて病院へ行き、あなたの姿を超音波で見ました。
もう、あなたは、足を動かし、3ヶ月で9週目に入っていました。
今まで、お母さんが苦しかったりしたのは、あなたが、いたからなのだと感じ、あなたの存在が、はっきりして、大事にしなければと、思いました。
予定日 昭和60年9月23日
お父さんに、妊娠であると話すと、とても、大喜びでした。 お母さんの祖母は、初孫なので、とても、楽しみにしました。
昭和60年3月19日 今日は、あなたの元気な心臓の音を聞きました。
お母さんは、骨盤が狭いので、3000g以下の子供を、産みなさいと、先生に言われました。 あなたを小さく産んで、大きく育てる事にします。
お母さんは、それ程、つわりがないのですが、お父さんが気分が悪く、胃が悪いのだろうかと思っていたら、 (普通、母親に無い時は、父親につわりがあると、聞きました。) だから、お父さんが、つわりになっていたのでしょう。
お父さんは、父親の愛情を知らないので、自分の子供達には、人一倍の愛情を注ぎたいと、願っていました。
昭和60年4月6日 延岡市役所へ母子健康手帳を、貰いに行きました。 又一つ、母親になるのだと思う自覚を感じる。
昭和60年4月17日 5ヶ月検診 犬の日なので、腹帯をして貰い、赤飯を作り、お祝いしました。
昭和60年4月25日 お腹の中から、つつかれる感じ。 あなたが、動き始めたのでしょう。
昭和60年5月22日 6ヶ月検診 お母さん、少し、貧血気味 でも、あなたは、元気だそうです。
昭和60年6月21日 7ヶ月検診 あなたは、逆さになっているそうです。 逆さを治す体操を指導して頂く。
昭和60年7月5日 7ヶ月検診で、逆子になっていたので、もう一度、検査
普通の赤ちゃんに戻っていました。
3日前から、特に、あなたの動きが、大きくなっていました。
昭和60年7月19日 8ヶ月検診 丁度、良い大きさだそうです。 頭が少し、大きいかなと言われました。
あなたの動きが、一段と活発になりました。 元気な印ですね。
お父さんも、お母さんのお腹(あなたに、話しかけたり)触ったりしています。
昭和60年8月2日 9ヶ月検診 あなたが、少し小さいと言われましたが、元気だから、良いそうです。
前置胎盤に、なっているそうです。 心配しなくて良いとの事でしたが、やはり、心配です。
昭和60年8月16日 9ヶ月検診(月2回の検診に入りました) あなたが動くと、痛さを感じます。 小さいけれど、2700gは、有るでしょう。
高齢出産の年齢の始まりだから、小さく産んで、大きく育てる方が、良いですよと、先生に言われました。
昭和60年8月30日 10ヶ月検診 塩分と水分の取りすぎに、注意しなさいと言われる。 昨日、お父さんが、カニを茹でてくれ、食べたので、その塩分が残っていたのではないかと、二人で笑いました。
お父さん、迎えに来てくれました。 やさしいですね。
昭和60年9月6日 10ヶ月検診 お母さんの友達二人が、最近、帝王切開で、子供を産んだので、お母さん、ちょっぴり、不安なのです。
お母さんは、あなたと頑張りたいから、普通で産まれてね。
昭和60年9月13日 10ヶ月検診 予定日まで、10日 会社も、今日までで、明日から休みます。
昭和60年9月17日 今日は、ミシンで、おしめを縫いました。 座ってのミシンだったからでしょうか、お尻の肉が、痛くなりました。
昭和60年9月20日 10ヶ月検診 別に異常なし
子宮を開く為の注射・心電図を検査しました。 もし、帝王切開になった時、慌てなくて良い様にとの事でした。
お父さんも一緒に、病院へ行きました。
昭和60年9月24日 検診 あなたは、ちっとも下がっていないそうです。 どうりで、胃の方が、もたれると思いました。
あさって、病院へ行き、変わらなければ、帝王切開になるかも判りませんよと、言われました。
少しでも、一緒に頑張りたいです。
あなたも、居心地が良いのかも知れませんが、そろそろ、出る準備をしてくれませんか お母さんからの、お願いです。
カテゴリの
雄輝18年間の記録
今から、書きますので、宜しくお願いします。
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平成18年4月7日 今日は、天気が良く、二人で花の話しをしてて、大分県緒方町の原尻の滝のチュ-リップが、咲いているのではないかとなり、出かける事にしました。
大分県緒方町の原尻の滝は、延岡から、約2時間位で行ける場所です。
原尻の滝は、雄輝が小学6年 中学入学前の春休みに、家族で出かけた場所なのです。
この時は、まだ、チュ-リップは、咲いていませんでしたが、今日は、沢山のチュ-リップが咲いたり、桜の花も咲いていました。
原尻の滝も、ナイアガラの様な滝なのです。
勿論、雄輝も連れて行き、雄輝に話しかけながら、見学をしたのです。
雄輝も久々の、滝など見て、喜んでいると思います。
雄輝にも、又こようね と話しかけて、近くをドライブしてみました。
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当時、父51才、母48才、当時、私達の長男、雄輝(18才)が平成16年2月5日、水産の事務所にて入社の手続きに行き、水産としては、絶対に一人作業は、させません。何故なら、一人作業で、もし、何かあった場合は、対応が出来ませんので、何かあったら、水産が補償問題などで、大変な事になりますから。お父さん、お母さん、安心していて下さい。
私達は、会社の船舶の所有遠洋マグロ船が10船近くあるので、安全について、徹底した安全マニアルが、有ると思い、その当時は、安心をしました。
雄輝の水産の入社が急遽、平成16年2月27日(静岡県焼津港集合)に決まり、宮崎海洋高校は、特別に雄輝、一人の為に平成16年2月20日に先生・生徒を集めてくださり、卒業証書授与式を教室で行い、
門出を祝ってくださいました。雄輝は感謝の気持ちを、先生・同級生の前で述べ雄輝も自分も頑張るんだと意思を固めました。私達も雄輝が、これから遠洋マグロ船に乗船して、立派になった姿が目に浮かび、誇らしげに思いました。
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