2007年1月29日 (月)

息子からのメッセ-ジ

朝、一面の霜

日差しが照るつける場所から、徐々に解けていく姿

影の形を残しながら

ただ霜を見ているだけで、感傷的になってしまう。

自然の節理の有り方なのか。

雄輝は何故、親より先に他界しなければならなかったのか。

私達は自分が死んでいくまで、苦痛を背負っていかなければならない

周りの人達は、何年も経つと、未だ考えているのかと言うかもしれない。

でも、親を先に亡くす事よりも、それ以上に、子供を亡くした親は絶対に私達が生きている限り苦しみは消えないでしょう。

消すつもりも有りません。

それが、子供に対しての守る事の出来なかった親の宿命と日々が過ぎて行きます。

私達は、今年の5月で3年になろうとしています。

でも、今思うと最愛なる息子が今の海難事故に対する継承をしているように思えてなりません。

第三者から見れば、こっけいに見えるかも知れませんが、・・・

私達は、最愛なる息子の死を無駄にする事なく、少しでも海難事故が無くなる様に、司法・行政に訴えて行きたいと思います。

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2007年1月24日 (水)

命の重み

風化させないでください。亡眞田雄輝(当時18才)の願いです

転落行方不明になった息子は、子供の頃から海が好きで、中学時代には船に乗る仕事を、したいと考え、高校は海洋高校に行くと早くから決めていました。

高校時代は、必要とする免許も頑張って取得しました。

将来の第一歩として、A社は給料も良いし、大きい船に乗れる事で夢を膨らませていました。

求人票には、入社が4月1日と書いてあったので、そう思っていたら、2月5日、A社事務所で船員手帳の手続きで行った時、2月27日焼津集合、3月3日焼津港出港。

出航期間18ヶ月が22ヶ月に、なったと聞かされました。

雄輝は、A社に役に立つ船員になりたいと、卒業式までの自宅待機の時も、学校に行き、授業では習わなかった、ロ-プワ-ク・ワイヤサシなど、船に乗った時必要なな事を、勉強に行きました。

学校側は、正式な卒業式に間に合わないとの事で、雄輝の為に2月20日先生・生徒を集めて、卒業式をしてくれました。

雄輝は皆に感謝し、仕事はたいへんだろうけど、皆に会うのを、楽しみに頑張りたいと、言っていました。

平成16年5月9日(母の日)、船舶電話から運搬船で送って貰いたい品が何かを、話しました。

その次の日、5月10日、転落行方不明と連絡が来る

出航して69日目

私達は、頭の中が真っ白になり、何がどうなったのか、訳が判りませんでした。

これでは、18歳で亡くなった雄輝に対して、私達は、申し訳無いと感じ、1から船に関する事・法律を勉強して来ました。

船主側は、第一に安全・第二に品質・第三に漁獲高、この様な体制でやって貰いたい。

人の命は、何人たりとも、犯す事は出来ない。

もし、これを犯したならば、法律により、罰せられる。

これが社会的ル-ルである。

これは国民の権利である。

船主側は、本当に船の周りは何があるか、知っているのだろうか。

船の周りは、奈落の海以外何も無い。

その様な環境の中で作業させる以上、国が定めた法律を、繰り返し、繰り返し、徹底させる義務があると思う。

国土交通省も、地方任せで無く、徹底的に調べて頂き、船主に船主の自覚・海難事故防止を、させて貰いたいです。

雄輝自体、転落後、絶対に生きたかった。

でも、生き様としても、その糧が無かった。

しがみつく物が何も無い海中で、どんな思いでいたか。

これでは、雄輝が生き様としても、諦める他、無かったと思う。

父は、雄輝が海中に沈みながら、笑顔で「お父さん・お母さん、ごめんなさい」と言って沈む夢を見ています。

それが、航海時の雄輝の最後の姿です。

私達は、雄輝の命を、無駄にしたく無いし、私達が、どれ程の苦痛を味わっているか、本当に判る人は少ないと思います。

私達の様な苦痛を、味わう人が居なくなる様に、徹底して頂きたいし、私達も、国と協力して、海難事故防止に向けて行動して行きたいと考えています。

(未だに、亡骸はないままです)

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